困った時だけあてにする気ままな飛べない鳥。その子の名はクラリーノ。七夕の露店で買ったアヒルの思い出。
お早うございます。
今日はいたるところで犬を連れた人とすれ違います。時にはリードを付けられたニャンコも。散歩させられているニャンコを始めてみた頃は珍しかったですね。
今では日に3、4匹ほど見かけます。時代が変わったのか。やはり狭い家の中だけではストレスが多いですからね。
家の猫みたいに外出恐怖症なのは珍しいのかも。もっとも家は5LDKあるから各部屋を回るだけで良い運動になるのかもしれません。
私も色々なペットを飼いました。
仏壇の横にある初代の猫の骨壺や、生まれてすぐに死んだ墓がある庭の石とかを見ると思い出しますが懐かしいものです。
そんな訳で、久々にペットの事を書きたくなりました。
働き始めた頃に、露店で売っているアヒルを買う
久々にアルバムを見ていたらこの写真が目に入いりました。男の子、2歳前後かな、長靴を履いている。
懐かしいね |
このアヒルは私が飼っていたものです。
今日は、そのアヒルの事をお話しします。
私は以前、鶏のひよこではなくアヒルの雛を飼ったことがあります。値段はいくらだったかな・・・忘れました。
クラリーノを飼ったのは20歳位の頃で、商店街の露店で雛を売っているのを見つけた友達の兄貴が買いました。
それで私もつられて一匹買ってしまった。
その兄貴は中学校の頃仲間と素人のグループサウンズを結成していて、その人たちは私から見ると不良ポイ感じの人達だった。
後で兄に聞いたら本当の不良でした。
アヒルの雛を買うような雰囲気の人ではなかったような。これも後から知ったのですが、その兄貴は中学校の番長でした。
お蔭で中学生の頃は、他の不良たちも我々には優しかったような。
素人のグループサウンズの大会では、ドラム担当の人が演奏途中でステイックを折ってしまい涙の敗退となってしまいました。
私たちの遊び場は何しろ市では一番の繁華街で、東一番町や国分町ですね。昼間から怖そうな人や水商売のお姉さんが通りを歩いていました。
私の家からは歩いて4、5分位ですが別世界の雰囲気がありましたね。
友達の家は国分町にあるタバコ屋さん。何時もこの辺で遊んでいました。私の家の近くに芸者の置屋があって同じ位の歳の女の子がいました。
一緒に遊んでいるとお巡りさんに補導されかかったことがありましたが、家がすぐ近くだと言うと理解してくれましたし、その後、お巡りさんとも仲良しになりましたね。
あっクラリーノの話でしたね。
友達の兄貴の雛は残念ながら、間もなく死んでしまいました。
よく慣れて可愛いものでした水をかけると大喜びで狭い庭中を走り回っています。その後、猫に襲われ大けがをしましたが、なんとオロナインで完治しました。
そのお話しです。
アヒル君 お前の名はクラリーノ
この頃、テレビのコマーシャルでクラリーノという長靴がありました。
それでつけた名前がクラリーノです。物凄く安易ですね。
庭で遊んでいるクラリーノに水をかけてやると喜んで走り回る。その姿を見ているとクラリーノで良かったな。と思った記憶があります。
暫くしてクラリーノに生死を分けた出来事があった
私の父親が死んで暫くしてから、一家は新興団地へ新たな家を建て引っ越します。見晴らしの良い丘の上の家です。
間もなく宮城県沖大地震が起きて大被害を受け有名になった団地です。住んでいる家の前のお宅までが壊れ、その家族は暫く我が家に避難していました。
それで新聞社とかマスコミが取材に来て、応対する私の母親は一躍有名人になりましたが。
この団地はボーリング調査の結果、何んと50m以上も深い沢を埋め立てて出来た団地だと後で知りました。
家を買う時はよく調べて買いましょう。法務局に行くと分かりますよ。
逃げないアヒルの子
庭でクラリーノを飼っていたのですが、夜は箱の中に入って家の中で寝ていました。不思議と外へ逃げ出したりしなかったね。
呼ぶと餌をもらえると思うのか、すぐ寄ってきたのは可愛かったですね。
アヒルを庭で飼っているのは珍しいらしい
庭で餌をやると通りすがりの親子連れが「庭でアヒルを飼っている」と指さして騒いでいました。
普通は金網の小屋にでも入れて置くんだろうけどね。住宅地の庭でアヒルを飼う事が珍しいとは、つゆとも知りませんでした。
でも跳び走りながらフンをするのにはいささか参ったな。
それでホースを引っ張ってきて水をかけて洗っていると、大喜びで走ってきます。水を浴びて羽をバタバタして、おかげで私もびしょ濡れ。
私は飛べないアヒル
そのまま飛んで行ってしまうのではと心配したが、どうもアヒルは飛べないんですね。鶏やペンギンと同じです。
後で知ったがアヒルを漢字で書くと家鴨となる。
野生の鴨を捕まえて檻の中で飼育していると、餌の心配がなくなるとなついてくるそうです。
その結果、体が重くなり、何代も交配していると親でさえも飛び方を忘れてしまったとか。鶏の様にDNAが変わってしまい、人間に飼われるようになったと言う訳です。
クラリーノは大怪我をしたがオロナインで治った
写真はこれだけ。 |
クラリーノの身に一大事が起きます。冒頭の写真がクラリーノです。再登場させてもらいます。これ一枚しか無いので。
クラリーノが猫に襲われる
ある日クラリーノが騒いでいるので、ガラス戸を開けると、私に向かって走ってきました。
私の足の後ろに隠れ怯えています。
肩から血を流し白い体は半身血に染まっていた。
なにがあったのかと周りを見渡すと猫がこちらを見ています。直ぐに庭に出てみると猫が身構えていたので追い払った。
それからクラリーノの肩を調べるとざっくりと割れていましたね。
水道の水で傷口を洗い、薬箱を開け血止めを塗ってから、何を思ったかオロナインを取り出し、べったりと塗りつけました。
そして包帯で肩口をぐるぐるときつく巻いた。
少しクラリーノが落ち着いてから、先ほどの猫を探しに外へ出たところ、いました。近くの送電線の柱の脇でこちらを見ていたのです。
このままでは、また襲ってくると思うし、会社に働きにも出られないので、何とかしなければと思案しました。
座って手に餌を持っているようにしてニャーン、ニャーンと手招きをすると猫が少しずつ寄ってきたではないか。
野良でなく、人に良く馴れた飼い猫でした。
首筋をつかみ小高い丘の上から放り投げてやった。しかし、さすが猫だ。くるりと回って足から着地しました。
どこかの猫とは違う?。暫くこちらを見ていたがいつの間にかいなくなった。
それから、この猫は姿を見せなくなりました。
オロナインで治った ?
クラリーノですが何回もオロナインを塗り、包帯を取り換えてやりました。何日かして傷もふさがり一応は完治した様です。
これはクラリーノではありません。写真acさんから頂きました。 |
動物病院も今みたいに、いたるところに在る時代ではなかったので、診察に連れて行くという考えはなかったですね。
それにしても、今考えてもオロナインで治るとは思わなかった。
東京に転勤。クラリーノを女の子が引き取ってくれた
その年に東京の本社に転勤が決まり、クラリーノをどうしようかと会社で話したら、同僚の女の子が「私が預かる」と引き受けてくれた。
転勤は2回目で1回目の時は新宿の勝新ビルです。ここは住み心地が良かったですね。
今回は北千住の近くの長屋の様な雑居アパートで、ガッカリしたのを覚えています。何しろトイレは共同で、しかも汲み散り。2度ガッカリしましたね。東京の田舎は凄い。
しかも1年後に空き巣が入りました。大事なギターは無事でしたが、部屋の中は凄い状態でしたね。
お巡りさんに質問されました。
「盗まれたものは」
私は答えました
「ありません」
何しろあの頃は給料が安かったですから。持って行くものなんかある訳がない。辺なところで恥をかきました。
男の子がクラリーノを追いかけている写真は、貰ってくれた同僚の女の子が東京のアパート(長屋?)へ送ってくれたものです。
クラリーノの写真はこれしかありません。
フイルムカメラで撮った記憶がありますが、現像した写真が何処にあるか今となっては思い出せません。
※最初に掲載した画像が私が飼っていたクラリーノで、他の画像は写真acさんから頂きました。ありがとうございます。
後書き
1枚の写真のお陰でいろんな事を思い出してしまいました。
懐かしい青春の思い出ですね。
今も思うのは
普通のあんな庭から良く逃げ出さなかった事です。何しろ家の側はすぐ車道ですから、犬みたいに紐でつないでいた訳ではありませんしね。
まあ、少し家は道路より低い位置にありましたから、クラリーノは道路に飛び上がれなかったのかも。
でも庭を回れば玄関の前を通って道路に出られます。まるっきり逃げる気が無かったようです。親父や若くして死んだ兄貴の生まれ変わりだったのかな。
でも、よくオロナインで直ったな。
「懐かしいペット達」に関する記事をまとめています。よろしければどうぞ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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