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能登半島の人達も今度の大雨でダブルパンチ。相次ぐ災害で身も心も落ち着く暇が無くて、毎日が不安でしょうね。
寝ている時の地震は怖いですね。
昨日も弱いながら地震があって思い出した事があります。
不気味な揺れで目が醒めました。
正確に言うとまだ頭は寝ぼけていましたが。
あっ、地震だ
ゆらゆら揺れています。
寝ているせいもありますが、久々の大きめの地震です。
寝ている近くに家具置き場があり、タンスや書棚が不気味なキシミ音を立てています。
15メートル先の町設のスピーカーが、大音声で地震を伝えています。
相変わらず、近すぎるせいか、調整が悪いのか何を言っているのか分からない男の声です。
女性にすればいいのに。
※この記事は茶タロウが我が家になついた頃に書いた頃に合った地震の記事で4、5年前かと思われます。
昨年スピーカーの担当も女性に変わり、よく聞き取れてストレスが無くなりました。
と、喜んでいたら自分の耳が少し聴き取れなくなっています。これは年のせいですね。別な意味でストレスになりそうです。
そしたら、又もや元の男性に戻りました。やれやれ。この辺にも権力争いがあるのかな。
危なく命が無くなるところでしたが、これは怖い。
目が覚めてしまいトイレに行きました。するとまたアラートが鳴り
「大きい揺れに注意して下さい」
と、行ったかと思うと先程よりも大きな揺れ。
揺れが収まる前にトイレから出ていましたが、
戻ってみてビックリ。
タンスが布団の上に倒れており、他のタンスからは全ての引き出しが飛び出しています。それらは私の布団の上で折り重なっています。
トイレに行かないで寝ていたら死んでいたでしょうね。
そしたら、この記事も世に出る事はなかったでしょう。
以前、東日本大震災の2回目に起きた地震で、タンスの下敷きになりかけました。
真っ暗な闇の中でスーッと風が頬に当たったのだけは覚えています。
電気をつけると頭の位置の10㎝先に倒れたタンスの先がありました。寝相が悪く無かったらそこで死んでいたはずです。
その後、倒れ防止の金具で固定していましたが、役に立ちませんでしたね。それだけ凄い揺れでした。
これで地震では2回命拾いをしました。
3回目は無いでしょうね。
階下で茶タロウが見つめている
倒れたタンスや散らかったものを片付けて、また寝ようとしたのですが、喉が渇きました。
階段から下を見ると、茶タロウが目玉をなお一層丸くして私を見ています。
「怖かったニャン」と言っている様でした。
降りて行ってなでなでしてやりました。
やはり怖かったようです。
「ミー」
と、ないてから安心したのか、お気に入りの居間のソファーへ戻って行きました。
これを見て、「もぞこいな」と感じましたね。
この意味は、今風に言えば「めちゃ可愛い」とでもいうのかな。
多分宮城の方言です。宮城も山形辺りからの人達が増えて方言の地域性が薄れてきた様な気がします。
地震が多すぎる、気になる
話しを地震に戻します。
最近弱い地震が多くて気になります。
宮城県沖だけの事ですが。
調べてみると、あの日の未明の地震で、震度1以上がその年の74回目。
不安ですね。
また同じマグニュチュードの地震が来たら、
大変なんてもんじゃありません。
何故かと言うと、表からは分かりませんが
中が壊れているお宅が多いです。
一部損壊で数万円しか補償が出なかった家、
収入不足で地方税を払えなくて、全く援助を受けられなかった家は補強が出来ません。
多分崩壊するでしょうね。
そういう家は近所だけで何軒かあります。
中には、外壁の法面の石垣がせり出したままのお宅も同じ通路にあります。
被災県全体では相当な数になりますね。
運が良ければ長生きできるかも
本当の意味での救済は進んでいません。
今なお壊れたままの家で生活している人は多くいます。
真の意味での救済を願いたいものです。
私も県外からの応援の水道職員の道案内や、空き巣を見張る為の夜間パトロール等を経験しました。
それで立ち入り禁止の内側にも入りましたので、普通の人よりは被害の状態を自分の目で見る事が出来ました。
ある家では天井が完全に落ちて1階から完全に吹き抜け状態になっていました。人がいたら間違いなく即死でしょう。
ゾッとしました。
この2回の地震の後、宮城では大きな地震は起きていません。
私は若い頃に宮城県沖地震を経験しています。
人生で3後も大地震に遭遇。
4回目は、もう御免です。
能登半島では大きな地震。復旧はかなりかかりそう。
能登半島の大地震は凄いですね。
歴史的的にも古い建物が多く、伝統的な産業が主な地域ですから木造建築が多いです。
それに半島ですから山間部が多いので幹線道路が一本しか無いようです。それが塞がると致命的ですね。
そこから枝分かれした道路も土砂崩れや地盤隆起等で崩れると、水道等のインフラも壊滅します。
今回の能登半島地震は被害が甚大ですね。
せめてもの救いは津波の人的被害が少なかった事位です。港湾は海底が隆起したりして使えない程に被害を受けました。
昔からの景観境維持のため木造家屋が多かったせいも有るでしょうね。本当に地盤の隆起が半端じゃ無いです。
水道の復旧に関しても簡単にはいかないでしょう。
この際ですから、ライフラインに関して何か新しいシステムを考えないといけない様です。
遠くから水道管等を通すのと並行して、地域ごとに地下水を溜める「ろ過式貯水槽」を作って、いざという時はそれを利用するとか。
何か新しい方法を考えた方が良いと思います。
石川県の馳知事、当然ですがテレビでよくお顔を拝見します。自民党で唯一まともな実績を残した小泉総理の時の閣僚でしたよね。
しかも元プロレスラー。
裏金作り発覚後、今だにもやもやしていすが、まともな政策が出来ない政府は当てに出来ません。逆に政府を使うようにならないと駄目だと思います。
被災者に寄り添った指導力を発揮して下さい。
ファイト馳 浩 !
希望を持ってね。被災者の皆さん !
その後の線状降水帯でダブルパンチの苦しみ
やっと避難仮設住宅が当たり、喜んで打たのもつかの間。
今回の線状降水で仮設住宅も床上まで泥だらけ、髪も仏も無いとはまさにこの事ですね。励ます言葉が見つかりません。
今日あたりからボランティアの人たちの活動が始まりましたね。日本の国はこの人達がいないと先に進みません。
真新しい作業服を着て、政府の大臣なんかが視察に訪れても何も助けにはならない。消防隊員や警察官、自衛隊。そしてボランティアの人達が頼りです。
心には思っていても口に出す訳にはいかない被災した人達。
今日、女性らしき人が一人見つかりましたが残念ですね。他の人達は何処にいるんでしょうか、早く見つけてあげたいですね。
この国は災害だらけになってしまった様な気がします。そして何処に行っても安全な地は無い様で不安です。
後書き
考えなくても分かりますが、大きなひ鍼や災害が多いですね。昨日、阪神淡路大地震の30年慰霊祭が執り行われていました。
大きな災害がありますね。早いうちに毎月何処かで慰霊祭が行われるようになるかもしれません。
地震の際の茶タロウの事を書いているうちに、余りにも日本中で地震等が頻発するので終わりが見えない記事になってしまいました。
特に能登半島の人達は、元旦の地震とその後の大雨でとんでもない被害になっています。やはり被害者を放っておいて衆議院選挙はやるべきでは無かったですね。
異論を唱えた議員は数人しかいなかったのが嘆かわしいです。
まだ東日本大震災を引きづっている、私にとっては他人事ではありません。
本当に大変だと思います。
でも、能登半島の被災した皆さん。
人間は何があっても生きて行かなくてはなりません。
きっと、この先には良い事がある
と、信じて。
「茶タロウ」に関する記事をまとめています。よろしければどうぞ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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